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野村克也さん(野村監督)、84歳で死去。阪神監督就任も最下位…新庄を育てた名監督!

まさか、まさかの阪神監督就任。
1990年代後半、阪神の暗黒時代で負けるのが当たり前で、阪神ファンですら優勝なんて夢のまた夢で、あきらめていた時に、ほんまかいな?というビッグニュースが関西から全国へ駆け抜けて行きました。
野村克也氏阪神監督要請…たしかに常勝チームに仕上げたヤクルト監督を退任されたのと同じタイミングではありましたが、まさか受けないだろうと思っていました。
ところが予想に反してというべきか?野球人、野村克也なら当然のことだったのか?阪神監督就任という運びとなりました。
その年のストーブリーグは野村阪神の話題で持ちきりで、関西のスポーツ紙の盛り上り方は凄まじかった印象しか残ってないです。
毎年春季キャンプから開幕まで、毎年スポーツ新聞の見出しだけ見ると優勝するんちゃうか?と勘違いしそうな…でも阪神ファンは誰1人として騙されず、開幕すれば現実を当然として受け入れることに馴れていました。
ところが、野村監督ならひょっとしたら…何年か我慢すれば…例年にない期待感が高ぶっていきました。
開幕戦こそ負けたものの、巨人相手に二戦目から練習し、開幕ダッシュした中日にくっつくようにいいスタートを切りました。
5月になり異変が起こりました。甲子園のチャンスが取れない…今までこんなことあり得ない。弱い時も変わらず甲子園に応援していた本物阪神ファンと自負している私には腹立たしい現象に、にわかファンをどれだけ恨んだことか。
6月には阪神百貨店で発売された限定100体の「金のノムさん像」も100万円という値段にも関わらず即完売。オールスターくらいまでは、プロ野球は阪神…というより野村監督が主役でした。
ところがやはり阪神、オールスター以降は下降線。野村監督をもってしても一年目は最下位でした。
二年目は新庄を四番に据えて、新庄は大活躍。
しかし二年目も最下位…新庄だけでは勝てるはずもない。
三年目、その新庄もニューヨーク・メッツへFA移籍。その他主力の大豊も中日へ…スター選手を失った阪神はやはり最下位。野村監督をもってしても阪神は強くならなかった…あれだけ期待していた関西スポーツ紙は野村監督を叩き、それに伴い阪神ファンからも心ないヤジかとぷ。そんな中、沙知代夫人の経歴詐称で逮捕。
夫人逮捕を機に阪神の監督を解任に追い込まれてしまう。
野村克也にとって阪神の三年間はまさしく天国から地獄へ…我々ファンも期待から失望へ、野村監督の恨み節は消えなかった。
しかし野村監督解任のあとに就任した星野仙一によって、それからわずか二年で優勝してしまう。
星野阪神の二年目の6月、阪神二軍本拠地の鳴尾浜球場にシダックスの監督に就任した野村克也が、プロアマ交流戦で帰ってきた。平日にもかかわらず、試合の一時間前には満員札止め状態。シダックスのユニフォーム姿の野村監督が球場に現れると、球場内割れんばかりの拍手喝采に包まれました。阪神が今強くなったのはあんたのおかげやぁ!と野村監督に向かって声が飛ぶ。
阪神ファンは厳禁なものだとこの時ほど思ったことはない。あれだけ阪神野村監督には罵声を浴びせかけいたのに…しかし、まんざらでもない。野村阪神には戦力があきらかに足りなかった。でもそのなかでも赤星憲広など甲子園球場に合った選手の獲得に動き、正捕手候補の1人だった矢野燿大を日本を代表するような捕手に育てる礎を築いて鋳たのも事実。
野村克也は阪神の監督時代こそ結果が出なかったが、あの三年間があったからこそ、2003年そして2005年の優勝できたと言っても過言ではない。もっと言えば、沙知代夫人の逮捕がなかったら、逆に急に優勝するチームにはなってないとも感じる。あの絶妙な三年間を勤めあげた野村克也氏に感謝をしたい。